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広島高等裁判所 昭和54年(ネ)119号 判決 1982年8月31日

控訴人 川岡美由紀

被控訴人 国 ほか二名

代理人 溝下正喜 ほか七名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人らは各自控訴人に対して、八一四万三五一二円及び七四四万三五一二円に対する昭和四九年五月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は一、二審を通じて五分し、その一を被控訴人らの、その余を控訴人の負担とする。

この判決中、金員支払いを命じた部分は、控訴人において二〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一申立

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人らは各自控訴人に対し、金三八二九万八一一三円及び三四七九万八一一三円に対する昭和四九年五月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二主張及び証拠関係

次に付加するほか、原判決該当欄記載と同一である(ただし、原判決三枚目裏一〇行の「観光という公の目的」及び同四枚目裏四行の「観光の目的」を、いずれも「観光地たる公園という公の目的」と改める。)から、これを引用する。

一  控訴人の主張

1  地獄谷を含む登別温泉は、国立公園法にもとづき昭和二四年に支笏、洞爺国立公園の区域に指定され(厚生省告示八四号)、昭和二八年に同公園登別特別地域の保護及び利用に関する公園計画が決定、告示され(同省告示三〇七号)、昭和三九年に登別町(登別温泉)を集団施設地区とする指定がされ(同省告示四一六号)、同集団施設地区に関する公園利用計画が決定、告示された(同省告示四一七号)。

2  被控訴人北海道は、自然公園法一四条二項により右登別集団施設地区に関する公園計画事業の執行者となり、駐車場、遊歩道、展望台等の施設(人工工物)を設置し、これと自然工物とが一体となつている地獄谷全域少くとも旧遊歩道の管理をしていた。なお、旧遊歩道付近の土地の一部を被控訴人国が登別温泉株式会社に使用許可していても、右は排他的な占有権限を認めたものではないから、被控訴人北海道の管理を否定できない。

仮に、被控訴人北海道に国家賠償法二条の責任が認められないとしても、同法一条一項の責任がある。すなわち、北海道知事は同被控訴人の代表者として、被控訴人国から委任を受けた登別地域の管理責任を負う公務員であるところ、同知事の右職務を行うについての過失により、控訴人は本件事故にあい、損害を受けたものである。

3  被控訴人国は、自然公園法一二ないし一四条により国立公園の計画、事業決定、その廃止、変更等の権限及び同法施行令九ないし一二条、一六、一七条、二〇条等の各規定に基づく権限を有している以上、国立公園に属する地獄谷についても一般的事業執行権を保持しているというべきであつて、旧遊歩道を含む地獄谷全域少くとも被控訴人北海道が借り受け、人工工物を設置した部分を除いたその余の全域についての管理者であるから、被控訴人北海道と同様に国家賠償法二条の責任がある。

仮に、これが認められないとしても、被控訴人国は同北海道に対し、地獄谷の観光用諸施設及びその管理費用として自然公園法二五条または二六条により費用負担をしているから、国家賠償法三条の責任がある。

4  国家賠償法二条の管理責任は、法的権限に基づく管理者はもとより、事実上の管理者にも適用があるもので被控訴人登別市は地獄谷についての事実上の管理者であつた。すなわち、同被控訴人は国際観光地登別温泉を擁し、観光客が年間二七〇万人を数える観光都市である。従つて、同被控訴人は国立公園としての登別温泉地帯の諸施設の整備については町当時からの方針として従来からできるだけの努力をしてきたものであり、観光宣伝と観光客誘致促進、観光施設の整備促進等を事業目的としている登別温泉協会(昭和四七年に社団法人登別観光協会となつた)に対し、毎年多額の補助金を支出して、その事業の推進を図つている。同被控訴人には、観光客から入湯税が入つており、町の財政面に大きく左右しているので、観光に対する熱意も積極的で、行政の一方の柱として重きを置いている。更に被控訴人国からは一部の土地を借り受けて登別温泉写真組合事務所、地獄谷案内所、休憩所を設置している。そして昭和四六年三月に外国人が表土陥没により死亡した際には五箇所にわたつて、地獄谷に英文の立入禁止の立札を立て、本件事故後の昭和四九年六月一五日に旧遊歩道付近に立入禁止の立札を立て、同年七月一日付で前記観光協会名で「地獄谷見学の危険防止について」と題する文書を発表し、そのころ危険であることの表示板を設置し、遊歩道に沿つてロープを張り、絶対に立入らないよう指示し、商工観光課長が週に一、二回展望台に赴いて立札等の確認をし、もつて地獄谷一帯を事実上管理している。

5  被控訴人ら主張の、控訴人の過失は否認する。

温泉街から道道倶多楽公園線を地獄谷へ向けて歩いてきた観光客にとつて、権現橋付近は地獄谷を見通し得る最初の地点であり、同所からは展望台広場等を見通すことはできず、仮に権現橋の手前の木柵に地獄谷への指示板があつたとしても見逃し易いうえ、権現橋の手前にある旧遊歩道の入口は、多くの観光客にとつて一見して地獄谷への入口と見違える状況にあつたため、他の観光客もこれから地獄谷へ向けて入つて行つたのであり、控訴人はこれに続いて進行したのである。途中には進行を妨げる障害物はなく、小川には渡し板があり、石標もあつた。観光客にすぎない控訴人は、地獄谷の地質や地表の状況ひいては地面が陥没する箇所があること等は全く知らず、本件事故地点付近の地表の状況からも陥没危険を察知することはできなかつた。

二  被控訴人らの主張

1  前記一1の事実は認める。

2  同2の事実中、被控訴人北海道が、控訴人主張の公園事業の執行として、駐車場、遊歩道、展望台広場の整備をした(昭和三六年度から昭和四〇年度にわたるもので、ベンチ一五個、説明板一一個の取付けである)ことは認めるが、その余の主張は争う。被控訴人北海道が執行した公園事業は右整備に限り、右物的施設の管理責任はともかく、旧遊歩道を含む地獄谷一帯に無限定の管理責任はない。まして、控訴人が進入した入口付近は、被控訴人国が株式会社第一滝本館に建物、庭園敷地として有償貸与しており、その奥に当る本件事故地点付近の三〇三六平方メートルの区域は登別温泉株式会社に、引湯管理設及び鉱泉付帯敷地として使用を許可しており、被控訴人北海道は何の権利もなく、一切関与していない。国家賠償法二条にいう公の営造物には、何ら手の加えられていない自然公物は含まれない。

また、北海道知事は、地獄谷を含む支笏、洞爺国立公園の管理権限及び責任を有しないから、これを有することを前提とする同法一条による主張も失当である。

3  同3の主張中、被控訴人国が、控訴人主張の法条に基づく権限を有していることは認めるが、その余は争う。被控訴人国の右権限は自然の景観等をなるべく保護しようとする自然公園法の目的を達するための行政上の規制に止まるもので、直接の支配権をもつものではないから被控訴人国には主張地域につき管理責任はなく、仮に管理責任を負うとしても、公園事業として設置した当該施設に限定されるべきである。

国が法規上当該営造物の設置をすることが認められている場合自ら行うにかえて、地方公共団体に対して右設置を認めたうえ、その設置費用につき地方公共団体の負担額と同等もしくはこれに近い経済的な補助を供与するとともに地方公共団体に対して法律上右営造物につき危険防止の措置を請求することができる立場にあるときは、国は前記法条にいう設置費用の負担者に含まれるとの見解(最高裁判所昭和五〇年一一月二八日第三小法廷判決)があるが、本件においては、被控訴人国は、被控訴人北海道が公園事業として執行した駐車場の新設、遊歩道等園路の整備事業のため補助金(自然公園法二六条)を支出しているだけであつて、前記負担者としては右施設に限定すべきものである。

4  同4の主張中、被控訴人登別市が案内所及び休憩所敷地、史蹟物存置敷地を借り受けて、その施設を設置していること、社団法人登別観光協会に補助金を支出していること、本件事故後に旧遊歩道付近に立入禁止の立札を立てたことは認めるが、その余の主張は争う。被控訴人登別市が地獄谷について事実上の管理者でないことは、本件事故当時、旧遊歩道及びその付近について賃借権等占有権限を有していなかつたこと、右地域を事実上も占有していないことから明らかである。

5  仮に、被控訴人らに本件事故の賠償責任があるとしても、本件事故発生については控訴人に過失があるから、損害額を定めるについては相当に斟酌されるべきである。すなわち、本件事故当時の旧遊歩道の入口には柵が設けられて、地獄谷を指示する案内板も取り付けられていたのであり、構内には建築資材が散乱していて地獄谷への通過道とは解し得ない状況にあつたし、更にそれより進んで登別温泉株式会社が使用許可を受けている区域の入口付近には、木柵、それに張られたバラ線、立入禁止の立札が設置しており、旧遊歩道といつても、雑草の繁茂する中の一条の踏み分け道が「登別原始林」の石標付近まで続いている程度のものであつて、たとえ初めての観光客にとつても観光コースと錯覚するとは到底考えられないような道である。事故当日権現橋前の駐車場には多数の観光バスが駐車していたというのであるから、それらの多数の観光客は本来の観光コースに従つて進行していたであろうし(控訴人が本来の観光コースに気付かなかつたとすれば、むしろ不自然ともいえる)、作業所入口からは、噴煙は丘陵をとおして認めることができるけれども地獄谷が見とおせるわけではなく、仮に、控訴人の進入路にしたがつて誤つて進入したとしても、「登別原始林」の石標は丘陵にさえぎられて木柵にバラ線が張られた地点では見えないのであるから、遅くとも有刺鉄線柵の地点に達するまでには通常の観光コースをはずれていることに気付くはずであつた。更に事故地点は一見して危険とわかる状況にあるにもかかわらず、カメラの被写体となり、足元も確認しないで横に動いている。以上の控訴人の不注意が本件事故発生の原因である。

三  証拠関係 <略>

理由

一  書証の却下申立について

控訴人は、被控訴人らが当審第一〇回口頭弁論期日でした<証拠略>の申出について、時機に後れたものとして却下を求めるが、右書証の申出によつて訴訟の完結を遅延させるものとは認められないから、控訴人の右申立は理由がないので、これを却下する。

二  本件事故の発生

控訴人が、昭和四九年五月一八日午前八時ころ、地獄谷で突然表土が陥没したため、両下肢熱傷の傷害を負つたことは当事者間に争いがない。

三  地獄谷の概況と危険性

当事者間に争いのない事実と<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

地獄谷は講学上被覆裂か状温泉と称せられ、一地域内の多くの温泉が火成岩や古い地質時代の水成岩の割れ目から直接湧出している真裂か状温泉の上部を薄い表土層が覆い、その表土層を通して水蒸気と熱水が湧出する形状の温泉である。地獄谷には、谷の中央部をその延長方向に沿つて幅約一〇〇メートル、長さ約四〇〇メートルの高地温地帯が存在し、その地下一メートルの地点では摂氏九〇度以上の高温状態である危険地域である。その表面は薄い表土層と温泉沈澱物により覆われており、これが陥没すると、中は、あたかも口の小さい丸型の花瓶をのぞいた様な状態となる。

地獄谷の大渓谷の一帯は赤茶けた地肌をむき出しにし、大小の気孔から轟音を発しながら湯煙りが噴出しており、この景観が観光の対象となつているが、地獄谷の中に立入ることは、前記地質、地表等からして危険であり、昭和四六年に外国人観光客が地獄谷で死亡した事故があり、昭和四七年四月から本件事故発生までにも、陥没によるとみられる熱傷事故が少くとも六件は発生していた。

四  地獄谷付近及び本件事故当時の旧遊歩道の概況

当事者間に争いのない事実と、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められ、<証拠略>のうち後記3(二)後段の認定に反する部分は採用できず、他にこれらの認定を左右するに足りる証拠はない。

1  地獄谷付近の地理は別紙図面(以下、単に図面という)のとおりであつて、登別温泉街から地獄谷方向に進み、株式会社第一滝本館(図面中の4)の日帰り客専用入口前に至ると、ほぼ直線でやや上り坂の舗装道路(図面中の道道倶多楽公園線。以下、単に公園線という。)となり、その前方斜め右先(以下説明に従つて進むこととして、進行により右左をいう)に地獄谷の展望台広場(図面中の6)があつて、その周囲が園路となつており、これらの右側一帯が地獄谷であり、公園線の左側に駐車場(図面中の1)があり、これら展望台広場、園路、駐車場等は昭和三六年から昭和四〇年にかけて設置、整備されたものである。

2  公園線は、株式会社第一滝本館の前記入口を過ぎるとすぐに、地獄谷の奥から発する小川と交差し、権現橋(図面参照)があるが、その手前から地獄谷へ向けて、旧遊歩道があり、その経路は原判決添付見取図(以下、単に見取図という。)の赤線にほぼ沿うもので、前記展望台広場等が設置されるまでは、観光客の多くは旧遊歩道を通つて地獄谷に入つており、右展望台広場等が設置された後にも、旧遊歩道から地獄谷に入る者が少なくなかつた。

なお、旧遊歩道の入口付近では、地獄谷から上る噴煙がよく見えるが、展望台広場等は、公園線の右側にある樹木等にさえぎられて見通しが悪い。

3  本件事故当事の旧遊歩道の状況は次のとおりである。

(一)  旧遊歩道の入口の左右には、高さ一・五〇メートルの木柵(以下、木柵(一)という。)があり、その開口部は約六・三〇メートルある。その向つて左側の木柵には縦約〇・三五メートル、横約〇・七五メートルの薄黒地板に、白ペンキで「地獄谷」と記し、展望台広場方向へ向けて矢印を付した案内板が、地上約一・二〇メートルの位置に取付けてあるが、そこから旧遊歩道への立入りを禁止するような表示板はなかつた。

(二)  右入口を通ると川の左岸に沿つて未舗装の通路があり、約七一・一〇メートル進行すると、見取図イ、ロ、ハ、ニの線に至るが、その間の通路の右側には鹿島建設株式会社の仮設建物がある。

イ、ロ、ハ、ニの地点には、地獄谷から温泉を採取している登別温泉株式会社が、かつて木杭を立て、横にバラ線を二本張つていた(但し、ロ、ハ間は一本だけで踏み越えられる状態である)が、年月の経過とともに腐触してくずれ、本件事故当時は人が通行することを妨げるような状況にはなく、立入禁止を示す立札もなかつた。

(三)  右ロ、ハ地点からは畦道のような道が続き、その右側に見取図の湯槽(一)があり、左側は雑草が茂つており、約二九・三〇メートル進むと見取図湯槽(二)の直前に出るが、その間に幅約一・八〇メートルの川が交差し、それに外径〇・二二メートルの鉄パイプの引湯管二本が渡してあり、その上に人が通れる板がのせてある。湯槽(二)は周囲を木柵で囲い、立入禁止の立板が立ててある。

(四)  湯槽(二)の手前左側(見取図のチ点)から約五一・二〇メートル進むと再び小川と交差し、人が通れるように板が渡してある。これを渡つて約一〇・一四メートル進むと右側に高さ約二・三メートルの石標があり、その正面に「天然記念物登別原始林」と、左側面に「史蹟名勝記念物法により大正一三年一二月内務大臣指定」と、右側面に「昭和五年三月建設」と、裏面に「文部省」と刻んである。この付近は石標をほぼ中心として平坦な地面となつている。

(五)  本件石標から見取図のレ点までは約七二メートルで、進行するに従つて薄黒い石ころが多く、平坦部分は狭くなり、卵の腐つた様な臭気が強くなる。レ点の左側には小川が流れ、右方はコークスを拡大したような山肌が丘状に直ぐ通路近くまで露出し、その地肌にはところどころに大小の気孔があつて噴気を噴出している。レ点付近の地表は一見して堅そうで、足を踏み入れても陥没するようなことはない。

五  本件事故発生までの控訴人の行動

<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  控訴人は、株式会社読売旅行社主催の北海道観光旅行に、知人の新本有以恵らと共に参加し、昭和四九年五月一七日の夜登別温泉に一泊したが、その途上のバスの中で、バスガイドから翌朝の一〇時までの自由行動時間内に地獄谷等の見学をすませておくこと及びその道順の大略を聞いた。

2  翌一八日午前八時前に、新本らと共に、宿舎を出発し、徒歩で地獄谷に向つたが、木柵(一)の手前付近に至つた際、他の観光客二〇名位が木柵(一)から旧遊歩道に入り、同方向先に噴煙等を認めたので、旧遊歩道が地獄谷を観光する道順と考え(前記木柵(一)の左側の木柵に取付けてあつた案内板や展望台広場、周遊園路のあることには気付かなかつた)、これを進行し、見取図レ点付近まで至つた。

3  右レ点付近で、湯煙りの上つている山肌を背景として新本らを撮影(その写真が<証拠略>ある)した後、新本が小川を背にして控訴人を写すことになり、控訴人が場所を少し移動した際、突然足下の地表が陥没し、下半身(大腿部の殆んどまで)が高熱の泥土中に埋没した。

六  責任

1  地獄谷を含む登別温泉は、国立公園法にもとづき昭和二四年に支笏、洞爺国立公園の区域に指定され、昭和二八年に同公園登別特別地域の保護及び利用に関する公園計画が決定告示され(昭和三二年に自然公園法の制定、施行の結果同法の国立公園になる)、昭和三九年に登別町(登別温泉)が集団施設地区に指定されるとともに、同集団施設地区に関する公園利用計画が決定告知されたことは当事者間に争いがない。

2  被控訴人北海道の責任について

(一)  <証拠略>によると、被控訴人北海道は自然公園法一四条二項により国立公園事業の一部の執行として、昭和三六年一〇月から昭和三九年九月にわたつて前記駐車場、展望台広場及び周遊園路等を設置したことが認められる。

(二)  観光基本法二条は、国が観光旅行の安全確保の施策を講じなければならない旨を定め、同法三条は、地方公共団体が国の施策に準じて施策を講ずるように努めなければならない旨を定めている。

およそ危険な場所を伴う国立公園の公園事業を施行し、遊歩道や展望台を設置する場合には安全かつ適当な場所、方法を選択することはもとより、人が容易に立入りできるような危険な場所には、立入りができないような施設若しくは立入禁止を明示する表示板を設置する等して、観光旅行者の事故防止に努める責務があり、国家賠償法二条の立法趣旨が危険責任に由来するものと解されることをもあわせ考えると、同条にいう営造物の設置又は管理の瑕疵には、設置された営造物についてのそればかりでなく、設置すべき施設を設置しなかつた場合をも含むと解するのが相当である。

(三)  前記三及び四認定事実によると、地獄谷への進入は危険であることは明らかであるところ、温泉街から徒歩で地獄谷に向う観光旅行者が、旧遊歩道付近まで進行した際に、右前方に噴煙等が見え、旧遊歩道の入口には木柵(一)があるものの、その中央部は開かれていて入口のような外観を呈しているのであるから、その道を進行することが地獄谷を観光する一方法と考えるのも無理からぬ状況にあつて、かつそれが容易にでき、現に旧遊歩道を進行して地獄谷へ進入する者が少なくなかつたのであるから、公園事業の執行者である被控訴人北海道としては、旧遊歩道入口に立入禁止の立札等を設置し、更には見取図イ、ロ、ハ、ニを終ぶ線上に同様の立札や防護柵が設置すべきものであり(このことは、被控訴人ら主張の、被控訴人国が図面中の4及び5の土地部分を株式会社第一滝本館や登別温泉株式会社に貸与若しくは使用許可していたことによつて左右されない)、これをしなかつた同被控訴人は国家賠償法二条の責任を免れない。

3  被控訴人国の責任について

被控訴人国は、自然公園法一二条ないし一四条により国立公園事業を本来執行すべきものとされており、その執行を地方公共団体等に認可した場合でも、認可を受けた者は被控訴人国に管理又は経営方法を届出ることとされ(同法施行令九条)、被控訴人国はその改善を命じることができる(同令一七条)立場にある。そして、前記被控訴人北海道の公園事業の執行を承認し、それについて補助金を交付したことは当事者間に争いがないから、いわば被控訴人北海道と共同して右執行をしていると認められるので、被控訴人国は、国家賠償法三条の費用負担者として責任がある。

4  被控訴人登別市の責任について

(一)  <証拠略>を総合すると、被控訴人登別市は、国際観光地登別温泉を擁し、観光客が年間約二七〇万人を数える都市であり、温泉郷の発展は直接、間接に市全体の産業経済の発展に大きく貢献していることから、温泉地帯の諸施設の整備については町時代以来できるだけの努力を続け、昭和六年に観光施設の計画と促進を事業目的の一つとして発足した登別温泉観光協会に対して多額(同協会の昭和四一年度の予算一八三三万三〇〇〇円中の七二〇万円等)の補助金を支出し、被控訴人国から図面中の2の土地部分等を借受けて案内所、休憩所、公衆便所等を設置し、昭和四六年に外国人が地獄谷の湯壺に転落死亡した後に、数箇所に立入禁止の立札を立て、被控訴人北海道の前記本件公園事業の執行については協議に加わつていることが認められる。

(二)  前記国家賠償法二条の立法趣旨に照らすと、同条の設置、管理者とは、法律上その権限がある場合に限定することなく、事実上右と同視し得る立場にあるものも含まれると解するのが相当であるところ、右認定事実を総合すると、被控訴人登別市は、法律上の権限に基づく設置、管理者である被控訴人北海道と事実上同視し得る立場にあつたものと認められるから、被控訴人登別市も同条による責任を免れない。

七  損害

1  <証拠略>によると、控訴人は本件事故により両下肢(臀部以下)に熱傷を負い、昭和四九年五月一八日から同年六月一二日まで国立登別病院に入院し、六月一二日に広島県呉市所在の中国労災病院に転院して昭和五〇年六月二四日まで入院(総入院日数四〇三日でその間三回植皮手術を受けた)し、翌二五日から昭和五一年五月七日まで通院治療を受けて、同日治癒と診断されたが、後遺障害として両下肢の全周にわたつて瘢痕(一部ケロイド)を残して醜状が著しく、両膝、足関節に運動制限(屈曲制限)が存在するため、正座はできず、歩行時に踵が地面に接しないため疲労し易い状況にあることが認められる。

2  右による損害は次のとおりである。

(一)  入院諸雑費

入院中の諸雑費としては一日三〇〇円が相当と認められるので四〇三日分が一二万〇九〇〇円となる。

(二)  付添看護料

<証拠略>によると、前記入院期間のうち、昭和四九年五月一八日から同年一二月三一までの二二八日間は、控訴人が起坐起立不能であつたため付添看護を必要としたこと、そのうち二二七日間控訴人の母親が右付添看護に当つたことが認められ、右費用は一日一二〇〇円が相当であるので合計二七万二四〇〇円となる。

(三)  交通費

<証拠略>によると、控訴人は前記転院については飛行機を利用し、控訴人の両親が登別病院に控訴人を見舞い、付添に当るに際し飛行機で往復したこと、右費用は一人片道一万五〇〇〇円を要したことが認められ、その計七万五〇〇〇円は本件事故相当因果関係のあるものと解せられるが、控訴人の右以上の出費及び実兄の往復を認めるに足りる証拠はない。

なお、控訴人は、その主張する期間についての看護のための母親の通院交通費を請求するが、右期間について付添看護を必要とした証拠はないので、そのための通院交通費は相当因果関係のある損害とは認められない。

(四)  逸失利益

<証拠略>を総合すると、控訴人は昭和二六年九月九日生れで本件事故当時健康な女子であり、中国労災病院に臨床検査技士として勤務していたが、本件事故のため昭和五〇年一月一日から同年六月三〇日まで休職となり、次期昇給延伸となつたこと、同年七月一日から復職し、従前と同一職場(生化学部門)に勤務するようになつたが、前記後遺障害のため時間外勤務時間が少なくなつたこと、このため(イ)昭和五〇年中において得た給与は一三八万四〇五四円で、正規に勤務した場合の給与一七七万二八七九円より三八万八八二五円少なく、同額の損害を受け、(ロ)昭和五一年一月から同年六月までの半年間に得た給与は九一万六〇三六円で正規に勤務した場合の給与九五万一一一六円より三万五〇八〇円少なく、一年間に少くとも七万〇一六〇円の損害を受けたことが認められ、この損害は就労可能年数四三年間継続すると推認されるので、新ホフマン式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除(四三年間についての新ホフマン係数は二二・六一一)して損害の現価を計算すると、一五八万六三八七円となる。

右により、控訴人の逸失利益は(イ)、(ロ)の合計一九七万五二一二円となり、右以上の逸失利益を認めるに足りる証拠はない(控訴人は抽象的な労働能力喪失率に基づく損害額を主張するが、本件事案については適当でなく採用できない。最高裁判所昭和五四年(オ)第三五四号同五六年一二月二二日第三小法廷判決参照)。

(五)  慰藉料

本件事故の態様、受傷、治療、後遺障害の程度(両下肢の醜状は婚姻にも支障のあることが推認される)等諸般の事情を総合すると、控訴人が多大な精神的損害を受けたことはいうまでもなく、これを慰藉するには五〇〇万円をもつて相当とする。

2  被控訴人は過失相殺を主張するが、前記認定の旧遊歩道の概況、本件事故発生の態様に照らすと、控訴人に過失があつたものとは認められないので、右主張は採用できない。

八  弁護士費用

控訴人が弁護士に委任して本件訴訟を提起追行していることは明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、控訴人が被控訴人らに対して、求めうる弁護士費用に関する損害は七〇万円をもつて相当と認める。

九  なお、控訴人は傷害保険金九八万円を受領したことを自認しているが、これは賠償請求権から控除すべきものではないと解する。

一〇  結論

以上の次第で、被控訴人は各自控訴人に対し、前記七、八損害合計八一四万三五一二円及び七の小計七四四万三五一二円に対する本件事故発生後の昭和四九年五月一九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、控訴人の本訴請求は右限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求を棄却すべきである。

原判決は右と異なるので、右趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 梶本俊明 出嵜正清)

別紙図面 <略>

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